前回、運送業の江戸時代辺りをお話ししましたが、今回は飛脚を深堀してみたいと思います。

 

さて飛脚と申しましても荷物を委託してくれる相手によって呼び名が違いますが、運ぶ物は重い物や大きい物は人足ですから無理がありますよね。では一体、何を主に運んでいたのでしょうか。

 

 

 

 

以下Wikipediaさんから抜粋させて頂きましたのでご参照ください。

 

 

飛脚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

飛脚(ひきゃく)は、信書や金銭、為替、貨物などを輸送する職業またはその職に従事する人のことである。佐川急便の商標でもある。単純な使い走りとは違い、事業が組織化されているのが特徴である。

 

 

とあります。

 

ではここから細かく書きますが、先ず断っておくのは江戸時代より前は細かすぎて伝わらないので江戸時代以降に絞らさせて頂きます^^;

 

 

江戸時代の中期あたりから~明治政府が樹立されるまで、民間の飛脚問屋は、「定日」に荷物を集荷し、荷物や人夫の監督者である「宰領」(さいりょう:今でいうと国土交通省の出先機関の役人・又は交通機動隊に近いかな)が主要街道の各宿場の伝馬制度を利用して人馬を変えながらリレー輸送していたそうで、何となくですが今の運輸業に近い感じですね。

 

荷物を不届き者たちから守るため帯刀した宰領は、乗馬し荷物を載せた馬と馬方(馬子といえば伝わりやすいかな)を引き連れて移動し、宿は飛脚御用達の「飛脚宿」に宿泊。途中、様々な災難(人、馬交代の時間浪費、現金盗難、河川増水(川止め)、地震など不慮の人災・天災)により、延着・不着・紛失も結構あったそうで、相当気苦労が絶えない仕事だったと思います。

 

 

 

 

また、高額の金を支払い、一件のために発した「仕立飛脚」というのが当時存在したようです。また早便として「六日限」「七日限」などの種類があったとのこと。

因みに守貞謾稿に、当時の事を具体的に説明していますが、長くなるので次回、パート3として書きたいと思います。

 

ツギモゼッタイニ(・∀・)ミテクレヨナ!!


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